【人生】私には、趣味がある。
おはようじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
大学生活も終わりに近づいてきていて、
何をするにしても不思議とエモい気持ちになります。
楽しかった~~~~結構遊んできたのでね。
とはいえ、コロナ禍のせいで2年近く会えてない友人・知人と
再びの邂逅を遂げることなく卒業を迎えてしまうと思うと、
やっぱり悲しさもあるわけです。
ということで(?)、
今日は、大学1年時のとあるエピソードを起点とする話をしていきますよ。
2018年9月某日。確か火曜日、天気は晴れ。
その日の時間割は1限に語学、2限に体育であったことだけ覚えている。
1限が終わり次第、教室からかな~り離れた体育館まで歩く必要があった。
ただ、やっぱり1人で移動するのは寂しいし、気まずいもの。
幸いなことに、どちらの科目も同じクラスであった知人Aがいたので、
その彼と他愛もない話をしながら少し足早に歩いていた。
その会話の中で。
知人A「もっちーくんは多趣味でいいね、羨ましい。俺なんて趣味なんて一つもなくてさ。」
私「え???????????????????????????」
衝撃であった。そして、受け入れがたい価値観だと感じた。
確かに、(自分が”多趣味”であるかはさておき)
趣味の幅が広い人、面白そうな趣味を持っている人は興味深いものです。
それは分かるんです。
インドア系であっても音楽・動画鑑賞とか、
何なら散歩、食事とか些細なものでも
多少なりとも「好き」なことや「ハマってる」ことはあるはず。
世間話なんだから、それを「趣味」って言ってしまえばいいのでは?とも思った。
しかし、彼はそれすらなかったみたい。
未熟な私は、
そうした「趣味がない」人、そう言い切ってしまう人に対して
一切の共感はできなかった。
寧ろ、
「お前、いったい今まで何してきたの?」
という、人生観を否定しかねない思いが湧き上がってきました。
この日の帰り道。
「私にとって、趣味って何?」
と、ふと考えてみました。
が、不思議とすぐ結論が出た。
「趣味」に助けられてきた私にとって
私は、趣味に「非日常」を求めている、と。
学校生活に限らず、昨今はストレス社会。
ストレッサーは日常の至る所に潜んでいて、私達の心を蝕んできます。
そうした中でも、
それが何であれ趣味を楽しんでいる時は、
自分の世界にのめりこんでストレスから解放されるように過ごしていられる。
まさに「非日常」。
特に、中学生の頃。
学校に行くのが本当に嫌になって、不登校気味になった。
本当に死にたかった。
けど、死ななかった。
今こうやって生きていられてる。
それは、
心の中にある「嫌」を取り除いて「好」に置き換えてくれる趣味があったから。
その頃と比べると、趣味の幅は確かに広がった。
けれど、私が趣味に求めていて、趣味が私に与えてくれる
本質的な部分は変わってません。
来月から新社会人。
趣味に割ける時間はどんどん減っていく。
でも、その分、私の人生において趣味が持つ意味は重要になってくるはずです。
これからも頑張っていきたいね、人生。
では。