【カラカラ】「神」はいるのだろうか
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
突然だが、今僕は言いたい。
「あなたは神を信じますか?」
日本は無神論者が多い、ってのはよく言われていることで、
「私は別に…」なんて答える人が多いのは容易に想像できます。
(「信じています!」って答えてくれた人は、素晴らしいと思います。。。)
かくいう私は…確固たる確証はないのですが、無神論者です。
生い立ちからするとキリスト系の教育機関にいた期間が長いので
「信者」になってもおかしくないし、
キリストの教え自体は聞き入ることはあるし、
「たとえ話」を多用する僕の論法や考え方の点では、大きな影響を受けているとは思います。
とはいえ、
「八百万の神々が宿る日本…」みたいなフレーズに違和感を覚えるわけでもありませんしね。
無神論者が多い日本でも、
「神じゃん」とか「○○神」とか「オーマガー」とか、
「神」の意味が絡む言葉は多いですよね。
私も良く使います。意図することもあれば…無意識的に出ることもあるわけです。
母も無神論者だけど、
災いが降り注ぐと「もし神がいたら、こんなことはしない…」と言うけど、
「神様、見守ってください」なんてなことも言うわけです。
…って、私はこんな宗教の話をしたかったわけじゃないんですよ。
でももし、
「神」がいるのであれば、今僕は言いたい。
ねぇ、神様
決して優れた人間ではないけれど、
僕を愛してはくれないか?
ねぇ、神様
もしこれが愛故の試練だというならば、
ちと厳しすぎやしないか?
決して、今までの人生や今の環境が「恵まれていない」わけではない。
寧ろ、「恵まれている」と感じる瞬間だってあるし、
少なからず自分のことを良く思ってくれている人はいる。
「無償の愛」、「隣人愛」なんてキリストの考えは僕に大きな影響を与えてくれたが、
欠点を受け入れて、いや、それを押しのけられるのが「愛」と仮定するのであれば、
自分を愛してくれている人も確かにいる。
全てが自分の思い通りになるだなんて、そんな頓珍漢な事を言いたいわけじゃないんだ。
けれども、この環境が「最良」だとは決して思えない。
また、
この受難の時期を乗り越えることができたとて、そこは光指す場所なのだろうか。
まあ…珍しく素面なのに、大それたことを色々言ってしまったけども、
明日は確かに迫ってくるし、話がすぐに好転するわけでもないし、
そんな自分の想いをこの「公開する」をクリックするだけで、
一思いにインターネットの海に流せると思うと、
少しは気が楽になったような気もします。
そして喜多郁代は今日も唄ってくれる。
きっとやれるわ。
では。