【感覚】クオリア。
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)。
もっちーです。
標題の件、
端的ですが、かなり複雑かつ、抽象的なテーマです。
「そもそもクオリアとはなんぞや?」
と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで、まずはWikiで定義確認しておきましょうかね。
クオリア(英: qualia〈複数形〉、quale〈単数形〉)または感覚質とは、感覚的な意識や経験のこと、意識的・主観的に感じたり経験したりする質のことであり、脳科学では「クオリアはなんらかの脳活動によって生み出されている」と考えられている[1]。哲学・心理学・認知科学などにおいて、クオリア(主観的意識)は理数系学問(自然科学)で観測・解明できないという見解が多く出されている[2][3]。一方、神経科学などでは複数の研究がクオリアを観測し解明を進めている[4][5][6][注 2]。
(………ZZZ)
ほら、そこの君、寝てはいけないよ。
まぁ気持ちは充分わかります。
わけわかんないっすよね。
でも、
実は自分にとって、とても縁のある(?)概念なので
もうちょっと書かせてください。
初めてこの単語を知ったのは、高校生。
ある曲がきっかけでした。
でまぁ、流れでWikiで意味を調べてみた。
なるほど、感覚のことか。と。
当時からアホ丸出しな僕は、
ガバガバな解釈をしました。
で、作品のタイトルにしてみようかなと。
当時あまり名言しなかったのですが、
伝えたいメッセージはこれです。
「自分の表現したい世界は、自分の感じた世界。
ただそれは、かなり曖昧で、明確に定義し難いもの。
だから、あえてその抽象的な感覚をふわっとした色を介して伝えたい。」
はっきりしていないからこそ、
「○○ってことなのかな?」と
受け取る側の人の感性でも持ってしても到底理解してないだろうという矛盾をあえて残したかった。
その曖昧さを共有したかった。通じ合いたかった。
さて。
ここまで見てくれた人がどれほどいるのか、
不安でなりません。
あー、ありがとうございます!!!
いま、
(じゃあそんな文章を書くなよ!)
(冗長性くそくらえ!)
という忌憚のないご意見、いただきました。
いやまぁご尤もではありますが。
あ、でもここまで見てくれてるのなら、
もう少し待ってください。こっからが結論だから。
実はこの「クオリア」というテーマ。
前々から文書化してみたい内容であった一方で、
自分なりに一つの"結論"を出すことに些か躊躇していたのです。
書きたかったけど、書きたくなかった。
それは多分、
高校時代から続いていた1つのストーリーに
終止符を自ら打つことへの恐怖心と
面白みにかけることへの抵抗が原因なんだと。
ただ、今回ブログの中で認めたことで
"やっと出会えた"のかもしれない。
はじめから分かっていたことに。
自分のエゴと、限界値を。
※後付だけど、「反転」は「矛盾」を示唆してるのかもね。
色の話も含めて、
なぜ、普段は心身の安定を求めている僕が
その不確定性に惹かれたのか…。
解き明かすのにはもう少し時間がかかりそうです。
ここまでちゃ〜んと読んでくれた人がいるか、
本当に推測できません。
不安でなりません。
いたら個別に連絡してほしいです。褒めます。
では。