【現状】意味のない嘘なんてつかない方がいい
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
社会人2年目突入しました。
だからといって大きく変化があったわけではないです。
裏を返せば、「進展がない」ということにもなるのですが、
それはヨシ!としています。
そうでもしないと、やっていけません。
躁鬱極まります。
※勘の鋭い方は気付いているかもですが、泥酔中です。
おぼつかない手で精いっぱいのタイピングしてます。
さて、
僕自身、エゴは人一倍強い癖して自己主張が下手という
非常に生きづらい人間なわけなんですが、
色々あって営業職をやっています。
営業はフロント。
綺麗ごとだけではやっていけない職種なのですが、
「嘘をつかなければいけない」シーンはやってきます。
これを美化したくはないのですが、
「意味のある」嘘と捉えた場合、
その対となる、
「意味のない」嘘というものを、どのように定義すればよいのか。
具体例を挙げると…いや、頭には浮かんでいるけれど、口にしない方が良い。
そんな気がしてる。
だが、これだけは言いたい。
意味のない嘘なんてつかない方がいい。
君を見てるとそんな風に思うよ。

身を守るための嘘が、必ずしも「意味がある」というわけではないし、
その「嘘」が事態を好転させてくれる経験もしているし、
その「嘘」が自分の首を絞める経験も当然しているし、
「嘘」をつかずに正直ベースで伝えることはやはり正統でもある。
だがしかし。
美化するには気が引ける話なのだが、
「嘘」は必ずしもネガティブな話ではないと思う。
難しい。正解はない。でも、最善を尽くしたい。
私は、
営業という立場である以上、
男というジェンダーである以上、
その「嘘」を「現実」にしていく必要があるのだと思う。
「意味のない」嘘であっても、それが「現実」となれば
「意味のある」嘘になってくれると信じて。
聞こえはよくないかもしれないが、責任をもって君と対峙したい。
そしてその覚悟は、
アルコールと違って身に染みても解けないものだと信じて。
「できるようにする」ことを考えて邁進していこうと思える以上、
上司からの教えを守れているのだと思いたいし、
それだけ愛されているのだと信じて。
では。
【カラカラ】「神」はいるのだろうか
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
突然だが、今僕は言いたい。
「あなたは神を信じますか?」

日本は無神論者が多い、ってのはよく言われていることで、
「私は別に…」なんて答える人が多いのは容易に想像できます。
(「信じています!」って答えてくれた人は、素晴らしいと思います。。。)
かくいう私は…確固たる確証はないのですが、無神論者です。
生い立ちからするとキリスト系の教育機関にいた期間が長いので
「信者」になってもおかしくないし、
キリストの教え自体は聞き入ることはあるし、
「たとえ話」を多用する僕の論法や考え方の点では、大きな影響を受けているとは思います。
とはいえ、
「八百万の神々が宿る日本…」みたいなフレーズに違和感を覚えるわけでもありませんしね。
無神論者が多い日本でも、
「神じゃん」とか「○○神」とか「オーマガー」とか、
「神」の意味が絡む言葉は多いですよね。
私も良く使います。意図することもあれば…無意識的に出ることもあるわけです。
母も無神論者だけど、
災いが降り注ぐと「もし神がいたら、こんなことはしない…」と言うけど、
「神様、見守ってください」なんてなことも言うわけです。
…って、私はこんな宗教の話をしたかったわけじゃないんですよ。
でももし、
「神」がいるのであれば、今僕は言いたい。
ねぇ、神様
決して優れた人間ではないけれど、
僕を愛してはくれないか?
ねぇ、神様
もしこれが愛故の試練だというならば、
ちと厳しすぎやしないか?
決して、今までの人生や今の環境が「恵まれていない」わけではない。
寧ろ、「恵まれている」と感じる瞬間だってあるし、
少なからず自分のことを良く思ってくれている人はいる。
「無償の愛」、「隣人愛」なんてキリストの考えは僕に大きな影響を与えてくれたが、
欠点を受け入れて、いや、それを押しのけられるのが「愛」と仮定するのであれば、
自分を愛してくれている人も確かにいる。
全てが自分の思い通りになるだなんて、そんな頓珍漢な事を言いたいわけじゃないんだ。
けれども、この環境が「最良」だとは決して思えない。
また、
この受難の時期を乗り越えることができたとて、そこは光指す場所なのだろうか。
まあ…珍しく素面なのに、大それたことを色々言ってしまったけども、
明日は確かに迫ってくるし、話がすぐに好転するわけでもないし、
そんな自分の想いをこの「公開する」をクリックするだけで、
一思いにインターネットの海に流せると思うと、
少しは気が楽になったような気もします。

そして喜多郁代は今日も唄ってくれる。
きっとやれるわ。
では。
【今年もやってきた】独断と偏見で選ぶ”特に美味しかった”日本酒10選 2022
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
今年もやってまいりましたよ…この季節。
選考委員会(1人)が悩みに悩んだ10選を紹介する…この季節。
↓ こ れ は 去 年 の 10 選 ↓
【選考大変だった】独断と偏見で選ぶ”特に美味しかった”日本酒10選 2021 - もっちーの園 (hatenadiary.com)
↑ 復 習 し て い っ て ね ↑
昨年は授業レポートそっちのけで書いていたような記憶がありますが、
今年も今年で執筆モチベが高いわけですので、
早速いってみましょうか!
1.宮寒梅 純米大吟醸 吟のいろは

こちら、宮城は大崎のお酒。
柔らかく芳醇。とろみのある酒質の中で甘みと旨味の調和、そして香りが好みでした。
メモに「全人類好きだろ」などと書いているのですが、この気持ちの昂りを共有するにはまた仙台に行かないといけないのです…嗚呼。
2.蓬莱 蔵祭りで来場者還元酒 手詰め中汲み純米 無濾過生原酒

岐阜は飛騨のお酒。
コスパ部門、堂々の第1位です。
720mlで1100円なのですが、「手詰め」「中汲み」「純米」「無濾過原酒」のスペックとは釣り合いません。
何が良かったの?と聞かれると「バランス」。
相手(料理)を選ばないオールラウンダー。
3.HIZIRIZM 試験醸造酒 美山錦 生酛

「美山錦」「生酛」という、俺のために造られたようなお酒なのですが(自意識過剰)、
下にピリリと感じる微炭酸とともに、雑味のないフレッシュなお酒で、
デザートに出たチーズケーキとも絶妙なペアリングを魅せてくれました。
群馬は渋川のお酒。
群馬行こうかな。ねえ、行こうよ。
4.東洋美人 醇道一途 純米吟醸 西都の雫

ジューシーでいて上品。旨甘深々。主役になれるお酒。
取扱店がなさ過ぎて困ってるのですが、
東洋美人が飲める居酒屋見つけたのでそれで耐え忍びます…。
5.シン・ツチダ

完全無添加の生酛づくり、
精米歩合90%、
酵母とお米の力強さ。生。
ガツン、どっしり。旨く、飲みごたえしかない。
またしても群馬、こちらは利根郡のお酒。
6.大信州 紫陽花 生詰め

今年一番美味しかったお酒です。
蔵元限定で500本限定発売という希少性はあるのだが、
開栓したてはフルーティー全開で口に残る華やかさが印象的なのだが、
次第にその印象がガラッと変わっていく。
少し温度が上がると旨く、じっくりとした落ち着きのある味わいに。
長野は松本のお酒。
7.栄光冨士 純米大吟醸 無濾過原酒 酒未来

社会人になってから居酒屋でも日本酒を飲む機会が増えたのですが、
そこで良さを知った、山形は鶴岡のお酒をピックアップ。
「栄光冨士といえばMAGMA」という強い思想がありつつ、
力強い旨味・甘みが特徴の蔵だなあと思っていたのですが、
香り良く、スッキリした甘みのある飲み口。

広島は呉のお酒。
とろみがありスルッと入ってくる癖のない飲み口で、
びちっとしたフルーティーな甘さがひろがります。
「この甘さ…知ってるな」と思ってちょっと気になって調べたところ、
八反錦×山田錦使用とのこと。
あ!八反錦!!!それだ。大好きです。
9.仙禽 オーガニックナチュール2022 ZERO:nigori

栃木はさくらのお酒。※せっかくなので、日本酒メモそのまま記載しますね。
甘みもまろやかで、アルコールの立ちがない。
温度上がってくると。亀の尾のカチッとしたエネルギーも。
揚げ物と合う。
とのことです()
今年はにごり・うすにごり酒を飲むことが多く、どれも美味しかったのですが、
個人的に一番好みだったなあ…ということでピックアップしました
10.産土 2021 山田錦

はい、「いつも」「どこでも」「誰とも」「何とも」合う、最強のお酒です。
開栓したてはかなり炭酸感が強く、シャープな飲み口と低アルのおかげでスルスル飲めるし、
炭酸落ち着いてくると程よい甘さが印象残り、これもまたスルスル飲めてしまう…。
唯一の欠点は、開栓時に蓋が暴発することですかね…賃貸なので気を付けないと。
熊本は玉名郡のお酒。
熊本…来年も行きたいな…
いかがでしたか?(まとめブログ風)
これまでは「47都道府県の銘柄制覇しなきゃ」という焦燥感に駆られていたこともあって(良くも悪くも…)
飲んだ銘柄数で考えると去年より少ないのですが、
その分、美味しい日本酒に出会える確率が上がった1年でした。
日本酒を嗜む「ゆとり」は社会人になってから少し減ったような気がするのは悲しい一方で、
美味しい銘柄を紹介する(コンサルティングする?)機会が増えたことは嬉しい!
これからも1人で嗜む時間も、みんなと楽しむ時間もどちらも大切にしていきたいですね。
(うすにごり・おりがらみ系が多いのは嗜好の変化なのか、或いは…?)
来年もいい一年になりますように…。
では。
【暇】何をしようか、何を作ろうか。
こんにちはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
このブログ、「書きたいときに書くぞ!」のスタンスで運営しているのですが、
今回は珍しく「暇すぎる」から書きます。
タイトルもテキトーですよね。でも暇だもん。無敵。

「なんで暇なん?」
と疑問に思われる人もいるかと思いますが、
「家に一人だから」
なんです。
とはいえ、
やろうと思えば同期に連絡できる(ダル絡み?)できる環境であるので、
全くもってやることは見つからないわけではないんです。
ですが、ヒマナンデス
~ここでヒマナンデスのテーマが流れ、ナンチャンが元気に挨拶する~
※お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、いつも以上に怪文書です。素面なのに。怖いね~~~~~。
逆に聞きたいのですが、何すればいいと思います?
あ、
しらねーよ!!!!!!自分で決めろや!!!!!!
という熱いお言葉が聞こえてきた気がします。
仰る通り。
さあここで今の現状分析をしてみましょう。
・暇
・外は雨(これから台風が来る)
・無駄に自炊欲高まってる
・冷蔵庫に酒溜まってる(ビール、日本酒、ワイン)
あ、、、、、これ、
昼飲みか??????
ちょっと準備してきますね。
では。
※後で画像貼り付けるかもしれないです。
【追記】
マジで昼飲みしました。

レシピはないのですが、
常軌を逸した量のバターを入れた後に、
ポン酢を二度入れすると旨くできるはずです。
あと、えのきはマストですね。最強。
【感覚】クオリア。
こんばんはじゃ(気さくな挨拶)。
もっちーです。
標題の件、
端的ですが、かなり複雑かつ、抽象的なテーマです。
「そもそもクオリアとはなんぞや?」
と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで、まずはWikiで定義確認しておきましょうかね。
クオリア(英: qualia〈複数形〉、quale〈単数形〉)または感覚質とは、感覚的な意識や経験のこと、意識的・主観的に感じたり経験したりする質のことであり、脳科学では「クオリアはなんらかの脳活動によって生み出されている」と考えられている[1]。哲学・心理学・認知科学などにおいて、クオリア(主観的意識)は理数系学問(自然科学)で観測・解明できないという見解が多く出されている[2][3]。一方、神経科学などでは複数の研究がクオリアを観測し解明を進めている[4][5][6][注 2]。
(………ZZZ)
ほら、そこの君、寝てはいけないよ。
まぁ気持ちは充分わかります。
わけわかんないっすよね。
でも、
実は自分にとって、とても縁のある(?)概念なので
もうちょっと書かせてください。
初めてこの単語を知ったのは、高校生。
ある曲がきっかけでした。
でまぁ、流れでWikiで意味を調べてみた。
なるほど、感覚のことか。と。
当時からアホ丸出しな僕は、
ガバガバな解釈をしました。
で、作品のタイトルにしてみようかなと。

当時あまり名言しなかったのですが、
伝えたいメッセージはこれです。
「自分の表現したい世界は、自分の感じた世界。
ただそれは、かなり曖昧で、明確に定義し難いもの。
だから、あえてその抽象的な感覚をふわっとした色を介して伝えたい。」
はっきりしていないからこそ、
「○○ってことなのかな?」と
受け取る側の人の感性でも持ってしても到底理解してないだろうという矛盾をあえて残したかった。
その曖昧さを共有したかった。通じ合いたかった。
さて。
ここまで見てくれた人がどれほどいるのか、
不安でなりません。
あー、ありがとうございます!!!
いま、
(じゃあそんな文章を書くなよ!)
(冗長性くそくらえ!)
という忌憚のないご意見、いただきました。
いやまぁご尤もではありますが。
あ、でもここまで見てくれてるのなら、
もう少し待ってください。こっからが結論だから。
実はこの「クオリア」というテーマ。
前々から文書化してみたい内容であった一方で、
自分なりに一つの"結論"を出すことに些か躊躇していたのです。
書きたかったけど、書きたくなかった。
それは多分、
高校時代から続いていた1つのストーリーに
終止符を自ら打つことへの恐怖心と
面白みにかけることへの抵抗が原因なんだと。
ただ、今回ブログの中で認めたことで
"やっと出会えた"のかもしれない。
はじめから分かっていたことに。
自分のエゴと、限界値を。
※後付だけど、「反転」は「矛盾」を示唆してるのかもね。
色の話も含めて、
なぜ、普段は心身の安定を求めている僕が
その不確定性に惹かれたのか…。
解き明かすのにはもう少し時間がかかりそうです。
ここまでちゃ〜んと読んでくれた人がいるか、
本当に推測できません。
不安でなりません。
いたら個別に連絡してほしいです。褒めます。
では。
【GW】ドリルの寓話と私
こんにちはじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
世はGW真っ只中。
ありがたいことに弊社も10連休。
同期(陽キャ)に予定を聞いてみると、
「大阪!」「金沢!」「福岡!」
「キャンプ!」「帰省!」
などと、結構楽しそうなご様子。
※「彼女とデート」とかいうやつはしばき倒してやりましょう!
それに対して、陰キャな私は
いくつか外出の予定はあるものの
食と酒に溺れまくっています(肝臓くん、頑張ってくれ)
これも普段できないことではあるし、
純粋に楽しいことでもあるのですが…
「この差はなんだろう?」
「陽キャくんが有意義に時間を使えていて、
陰キャな私は自堕落に過ごしているのか?」
と色々自問自答してしまう。
しかし、
「否、である。」
リトルもっちーが言う。
GW直前の週報にはこう書いた。
「GWで脳をリフレッシュしたい。」
(そもそもそんなこと書くなよ…と思われるかもだが、
まぁ研修中なので"緩い文章"でも許されてる)
要は、
その目的が達成できるのであれば、
その課題が解消されるのであれば、
手段・ツールは問われないのである。
「大学で学んだマーケティングの考えを一つ言うなら?」
聞かれたら、多くの学部生が答えるであろう
ドリルの寓話。
「ドリルを買いにきた人がほしいのは
ドリルではなく、『穴』である。」
確かに、
この格言は「顧客ニーズの本質的理解」の重要性を教えてくれるものであるが、
人生観に対する示唆でもあろう。
…などと、ほろ酔いなのをいいことに
少し"意識高い"勘違い野郎っぽい文章を書いて見た結果、
やはりむず痒い気持ちになる。
自分らしくあるべき。
自分らしく生きるべき。
締めの文章も浮かんでこないから、今日はここまで。
では。
【人生】私には、趣味がある。
おはようじゃ(気さくな挨拶)
もっちーです。
大学生活も終わりに近づいてきていて、
何をするにしても不思議とエモい気持ちになります。
楽しかった~~~~結構遊んできたのでね。
とはいえ、コロナ禍のせいで2年近く会えてない友人・知人と
再びの邂逅を遂げることなく卒業を迎えてしまうと思うと、
やっぱり悲しさもあるわけです。
ということで(?)、
今日は、大学1年時のとあるエピソードを起点とする話をしていきますよ。
2018年9月某日。確か火曜日、天気は晴れ。
その日の時間割は1限に語学、2限に体育であったことだけ覚えている。
1限が終わり次第、教室からかな~り離れた体育館まで歩く必要があった。
ただ、やっぱり1人で移動するのは寂しいし、気まずいもの。
幸いなことに、どちらの科目も同じクラスであった知人Aがいたので、
その彼と他愛もない話をしながら少し足早に歩いていた。
その会話の中で。
知人A「もっちーくんは多趣味でいいね、羨ましい。俺なんて趣味なんて一つもなくてさ。」
私「え???????????????????????????」
衝撃であった。そして、受け入れがたい価値観だと感じた。
確かに、(自分が”多趣味”であるかはさておき)
趣味の幅が広い人、面白そうな趣味を持っている人は興味深いものです。
それは分かるんです。
インドア系であっても音楽・動画鑑賞とか、
何なら散歩、食事とか些細なものでも
多少なりとも「好き」なことや「ハマってる」ことはあるはず。
世間話なんだから、それを「趣味」って言ってしまえばいいのでは?とも思った。
しかし、彼はそれすらなかったみたい。
未熟な私は、
そうした「趣味がない」人、そう言い切ってしまう人に対して
一切の共感はできなかった。
寧ろ、
「お前、いったい今まで何してきたの?」
という、人生観を否定しかねない思いが湧き上がってきました。
この日の帰り道。
「私にとって、趣味って何?」
と、ふと考えてみました。
が、不思議とすぐ結論が出た。
「趣味」に助けられてきた私にとって
私は、趣味に「非日常」を求めている、と。

学校生活に限らず、昨今はストレス社会。
ストレッサーは日常の至る所に潜んでいて、私達の心を蝕んできます。
そうした中でも、
それが何であれ趣味を楽しんでいる時は、
自分の世界にのめりこんでストレスから解放されるように過ごしていられる。
まさに「非日常」。
特に、中学生の頃。
学校に行くのが本当に嫌になって、不登校気味になった。
本当に死にたかった。
けど、死ななかった。
今こうやって生きていられてる。
それは、
心の中にある「嫌」を取り除いて「好」に置き換えてくれる趣味があったから。
その頃と比べると、趣味の幅は確かに広がった。
けれど、私が趣味に求めていて、趣味が私に与えてくれる
本質的な部分は変わってません。
来月から新社会人。
趣味に割ける時間はどんどん減っていく。
でも、その分、私の人生において趣味が持つ意味は重要になってくるはずです。
これからも頑張っていきたいね、人生。
では。